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冊子 アート市民たち

『 よい作者を支えるもの 』     大倉宏

“市民派アート活動にエール”

大倉宏氏 新潟絵屋の壁を塗る大倉氏

  2000年に新潟絵屋を始めた時、一番考えたのは「見る人」の主体性ということでした。振り返ってみるとそれは、作品を作者から切り離し、見る人との関係で、とらえ直すことだったという気がします。

 

7年たって考えるようになったことは、けれどその作者と見る人の関係についてです。「市民派コレクター」という聞き慣れない言葉のことも、その文脈で考えはじめるようになりました。

 

画家を画伯、先生と呼び、最初から一段高い場所にある存在として、そこから作品を拝領する、「見せていただく」という感覚が、どうして日本人に根付いてしまったのか。背景に明治40年の文部省美術展に始まる、東京集中型の全国公募展の歴史的努力があったことを、経験や90年代に相次いで出た研究書などで学びました。

 好きではない中央の言葉を、あえて使うなら、日本の各地方の美術家たちは明治末から昭和にかけて、東京という「中央」に暮らす公家や貴族、ならぬ、文展の延長である日展や民間の各種公募展によって「荘園化」されました。二科荘、一水荘、光風荘、独立荘、自由荘、春陽荘、行動荘、国画荘、主体荘、一陽荘、モダンアート荘…など、中央領主の所領に細分化されてきたのが近代日本の東京を含む地方の美術家地図でした。もちろんそれは、中央貴族=公募展主催者の絶え間ない土地所有、ならぬよい美術家囲い込みと、それによる勢力拡大への熱意あってのことでした。

戦後どの荘園にも属さない、よい美術家が多数登場するようになり、彼らの作品が「現代美術」と呼ばれるようになりますが、これを当初支えたのが読売アンデパンダン展という、東京で開催される無審査公募展だった事実が語るように、荘園という名を持たぬ、もうひとつの中央荘園の性格を、それは持っていました。やがて生まれてくる地方の公立美術館は、荘園領主たちの私的な争いから距離をおこうとして、この隠れ中央荘園に接近する傾向を持ちます。地方美術館が「現代美術」荘園になっていく現象と、他の荘園に属する地方美術家との軋轢がこうして生まれます。

そこで疎外されてきたのが、どの荘園にも属さない、地方の「見る人」たちでした。見る人は特定の荘園に属するというより、各中央荘園の「中央」という言葉に、精神的に従属するものとされ、中央に属するものをありがたく「拝領する」ことを、作る人々に期待され、押し付けられますが、作る人々と摩擦を生じた美術館もまた、それに力を貸しました。 地方のほとんどの「名のある」作者が「現代美術」を含む中央荘園に属している事実。そこから生じる「中央」の言葉の魔術を、一旦無効にしないなら、作品と見る人が対等に生き生きと向き合えないという認識から、作者と作品を切り離す荒事の必要が発想されてきたのだと思います。

新潟絵屋を始めるにあたり、仲間と突っ込んでそのことを話し合ったわけではなく、あくまで、私個人の漠然とした感覚としてあったものですが、大工、写真家、家具職人、俳人、デザイナー、雑誌編集人、建築家、イベントプロデューサー等という違う職業を持つ人たちに、それとなく共感してもらえたらしいのは、彼らがみな、新潟という場所に生きる、独立した一個人の風貌を持つ人々だったからだったという気がします。いろいろあった7年でしたが、新メンバーを加えながら、いまだに私たちがつながっていられる理由も、そこにあるのだろうと感じます。美術というジャンルに作り手として直接関わらなければ、美術の荘園化闘争とも無縁でいられるわけで、美術がどこかしら好きな、美術家ではない人々と新潟絵屋を始めたことが、直感的な選択ではありましたが、正解だったと感じています。

「見る人の、見る人による、見る人のための企画展空間」というキャッチフレーズで、共感する会員の会費でサポートされる非営利の企画画廊との看板を掲げ活動をスタートした当初、思いがけなく既存の画廊のいくつかから反発を受けました。「貸し」と「企画」という画廊の二つの展覧会の様態を比較し、後者に見る人の主体性があるとの主張に、主に「貸し」で現代美術の作者たちの発表の場を提供してきた画廊の人にささる棘のあったことを、違和感を表明され気付きました。団体という中央荘園に属さず、個の立場で制作する作り手を支援する活動を、長く続けてきた画廊にとって、見る人と作る人を切り離そうとする主張が、自由な作り手をサポートしようとしてきた立場を否定するものと感じられたのです。それらの画廊に見る人として親しんだ者として、言葉のいたらなさを感じつつ、切れた作る人と見る人は、ではどうやってもう一度つながれるのかと考える、ひとつの切っ掛けをもらった気がします。

作り手ではなく、作品に共感する見る人が、企画者として明記されることを原則に、月3回の企画展を開くとの原則で活動を続けて7年が過ぎました。そして、改めて思うのは、画廊の個展が、一方で企画者という見る人の主体を介して成り立つものだとしても、他方で作家=作る人の合意と主体的な関与なしにも絶対にまた成り立たないという、当然な事実の意味です。

主体的な個人=見る人の作品への共感は、その作品の作者が属する荘園領主が「中央」に在ることへのへりくだりとは違います。作者が荘園に属する、あるいは荘園になることの内にそのへりくだりを、見る人に求める気持ちがどこか隠されているとするなら、そのような作者の気持ちと切れた場所で作品に接すること、そして個展という空間をそのような場所とすることには、意味があります。画廊という閉じられた場での、個展という形自体にも、作者が属するものと、作品を切り離す作用がありました。

けれどそのように、作者と作品を一旦切り離す装置としての見る人の企画による個展をくり返し、強く感じられてくるのは、荘園の魔術から解かれて見えてくる作者のよさ──言い換えれば、作品を通じて現れてくる、作者の像への尊敬です。その作者の像は、実際に接して受ける生身の作者の像と、時にずれて、見る人の前に現れてくることもあります。画廊経営者には、作り手と直に接することを好まず、物故作家を中心に扱おうとする人がありますが、いい作品を作る人が、画廊=見る立場に立つ側にとっては必ずしもよい人でなかったりする(それは主に、作り手が見る人の主体性を侵害するという形で表れます)。あるいはよい作品を作る人が、よい人であることもあり、よい作品を作らない人がよい人であることもあります。

しかし見る人にとって揺るぎないのは、生身の人でなく、あくまで共感する作品から見えてくる作者の像です。けれどその作者の像は、その像をもたらす作品を実際に作る生身の人がなければいないとの事実も、揺るぎない。その生身の人を支えないと、作者の像も支えられない仕組みです。見る人の内に作品を通じて表れるよい作者の像と、生身の作者のつながりを通じ、主体的な見る人と主体的な作る人はつながる。だから作る人は新潟絵屋での個展に合意し、関与してくれるのでしょう。

原田佳明という日本舞踊家の伝記を読んでいたら、パリで公演を成功させた原田が「君のような素晴らしい芸術家は、パトロンを見つけなければならない」と忠告を受ける場面がありました。原田はパトロンを探し、見つけるのですが、今の日本の町で、よい作者=よい作者の像を見る人に与える生身の作る人が、経済を支える理解者としての一人のパトロンを見つけることは、残念ながら至難です。一人パトロンに代わるものがあり得るなら、それは複数のパトロン、ファンと呼ばれる小さな支援者たちでしかありえない、と思うのです。

「市民派コレクター」という言葉を新潟絵屋に関心を持って下さった何人かの東京の方々から教えられたのは、3、4年前だったでしょうか。主に画廊を見て回ることを習慣とするうちに、自然に絵を買う行為を続けるようになった、主にサラリーマンである人たちを、そう言うらしいと。そんな市民派コレクターたちがつながって、彼らの好きなよい作者の展覧会を、コレクションを持ち寄って開いたりしている様子に驚くと同時に、作者と見る人を切り離すことに内心性急だった自分の言動に、反省を迫られました。

画廊という場所が公募展とは独立して、見る人たちに親しまれる場所としての歴史を積んできた東京と言う地方の個性も、そこに感じました。東京の市民派コレクターの方々に企画者になっていただき、何人かのよい作者の個展も新潟絵屋で開催させてもらいました。

画廊の歴史の浅い新潟で、そのような市民派コレクターが、ひとつの社会的な層となってくるのは、当分先のことでしょう。かつてそのような層の誕生の兆しさえなかった場所で、作り手たちが、自分の内なる「よい作者」を守ろうと、荘園となることを受け入れ、「中央」の語の魔力を借りつつ、見る人とつながろうとしてきたことも、やむ得なかったかも知れないとも思われてきます。しかし、その新潟で画廊を続けて思うのは、遠くに依らずとも、近くに、よい作者、あるいはよい作者になっていけるだろう人たちが、荘園グループにもそうでない人々にも、確実にいるという見る側からの実感です。そのよい作者、あるいはよい作者の像をなんとか支えたい。支えなければつまらない、と思うのですが、非営利の企画画廊などに関わり、変わらず貧乏な私の独力ではとうてい不可能なことと思い知り、暗澹とした気分に陥ることがしばしばです。この気分を味わったことのない、地方の画廊経営者は、きっといないのではないでしょうか。画廊とは、現実には多分に気分を滅入らせる仕事です。

東京の市民派コレクターの方々との交流は、その中で私に勇気を与えてくれる出来事でした。東京はとても個性的な、好きな地方です。文化的蓄積も大きい。すごいと思えることもいろいろ多い。けれどその大きさ、すごさに気分的に負けてはいけないと、よく自分に言い聞かせます。まだつながることのない、新潟のほんの少しの市民派コレクター的な人たちや、いつか市民派コレクターになっていくかも知れない人たちに向け、自分たちが共感する作品の作者の個展をこつこつ開き続けること。よい作者を支える環境を作るため、それが今ここで私たちのできること、しなければならないことなのだと感じています。
                            

(美術評論家、NPO法人新潟絵屋代表)
                

Ⅱ巻頭寄稿