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冊子 アート市民たち

冊子『アート市民たち』のこと

アートNPOの本

 冊子『アート市民たち』は草の根型アート推進団体『アートNPO推進ネットワーク』の活動記録である。 私は、会社人生を終えた後の第二の人生は金を稼ぐこととは無縁の何かをしたいと模索していたが、ある時、30年にわたるアートコレクションで得た知識・人脈と、50代後半に携わったNPO支援団体での経験を踏まえた市民派アート活動に思いが至った。こうして、アートとNPOを繋げた組織名称を思いつき、『アートNPO推進ネットワーク』を立ち上げた訳であるが、この活動は多くの支持を得て発展、おおいに成果を上げた。しかし、その後、私の体調変化などもあって、活動縮小を余儀なくされることになり、この時制作したのが、冊子『アート市民たち』である。

 私は、この冊子のタイトルを『アート市民たち』と命名、サブタイトルを“市民派アート活動を支援する人々”とした。確かに、この団体を立ち上げたのは私ではあるが、その活動を支えたのは、この団体の趣旨に賛同して参画した人々である、そう思ったのである。だから、私は、多くのページを私のためでなく、多くの仲間が語る言葉や活動に当てたいと思ったのである。

 この冊子は、2007年12月に1000部制作され、国会図書館など各所に寄贈された。そして、今回、この団体の地道な活動を記録すべく、冊子の一部をネット上に掲載することとした次第である。

               

(2012年5月 山下透 )

『 はじめに 』 2007年12月 山下透

冊子《アート市民たち》

 この春、東京国立博物館でレオナルド・ダ・ヴィンチ展が開催された。この展覧会は初期の名作『受胎告知』の展覧だけでなく、ダ・ヴィンチの天文学・物理学・解剖学・建築学などへの関心と研究のプロセスを辿ろうとするもので、私はダ・ヴィンチが残した「これらのあらゆる学術の中で絵画こそが最上位に位置すると考えていた」という記述に特に興味を覚えた。芸術とはいったい何なのだろう。我々が生きる上でどういう意味があるのだろうか。

 

 私は昭和40年代前半に社会に出て損保業界に入り、高度経済成長の時代を生きてきた。仕事は多忙を極めたが充実感もあり、概ね順調で満足できる会社人生であった。しかし私の中には仕事だけでは満たされない渇望感のようなものがあり、もう一つの自分の世界を築き上げたい願望を常に心の隅に感じていた。そんな或る日、本社ビルから歩いてすぐの処にあるブリジストン美術館にフラリと入ったことがあるが、目に止まったのがジョルジュ・ルオーの『郊外のキリスト』であった。貧しい労働者街の凍てつく夜の道路に立つ小さな人影、何処かに置き忘れてきた大切なものを見つけた時のような静かな感動に心が満たされた。その時から、私のルオー探索と現代美術コレクション人生が始まったのである 

 

 私は表面的な美しさより、知的で精神性の高さを感じさせる絵に惹かれる。絵の見方も、目に見えるものを見るというより、絵全体を包む空気を感じたり、作家の思いを読み取ったりすることを楽しみにしている。ジャコメッティーの彫刻に漂う空気感に惹かれ、長谷川等伯の『松林図屏風』やリ・ウーファンの作品に余白の美しさを感じる。絵は見るものではなく、読むものだと思っている。読むとは思索すること。作家が絵に込めようとしたものは何なのか、生きたのはどんな時代だったのか、何を考えて生きていたのかなど。そのためには想像力や歴史観が重要であり、学ぶことも必要である。絵を見る=思索するとは、本当の自分と向き合うことであり、人間や人生について考えることに他ならない。

 

 元々、定年後の第二の人生は金を稼ぐこととは無縁の何かをしたいと考えていたのであるが、結局、その頃関わったNPO支援団体での経営ノウハウと、30年近い美術コレクションで得た知識・人脈を基盤に、NPO型のアート団体を立ち上げたというわけである。旗印は“生活のなかの生きがい実現”“草の根型アート市民運動”とした。私自身の仕事と趣味の両立、或いは美術への関心が仕事や人生に好影響を与えた生き方を、第一線で働く優秀な男たち等多くの人にも味わって欲しい、芸術とりわけ美術が持つ本当の贅沢を知って欲しいと考えたのである。

 

 我々アートNPOの活動はささやかなものではあったが、一定の評価を得、順調に発展を遂げてきた。しかし、私の身体の予期せぬ出来事その他思うところもあり、昨年末、アートNPOの旗を降ろす決断をした次第である。私の志しはいまだ道半ばであるが、美術界に新しい風を起こすことだけはできたと思う。・・ダ・ヴィンチが言うように、他の学術より最上位にあるかどうかはともかく、美術は時空を超えて存在する人類の財産であり、人間が生きる上での大きな価値である。そのことを知っただけでも、美術にかかわった意味があったと満足している。

アートNPO推進ネットワーク代表 山下透氏
アートNPO推進ネットワーク代表

Ⅱ巻頭寄稿

『市民派アート活動をご支援いただいた人々』

 人間一人の力で出来ることは小さい。かつて或る易学者が私の運勢を占ってくれたことがある。生涯通じての全体運は“境遇運がいい人生”、つまり“人に恵まれる星まわり”とのことであった。その通りだと思った。不思議なことに私の周囲にはいつも人がいて、仕事では優秀な同僚・部下に恵まれ幸運な会社人生を全う、個人的にもよき友人たち、よき家族に囲まれて生きてきた。

  アートNPO立ち上げ時にも同じことを感じた。美術愛好家は別にして、市民派アートも現代美術もよくわからないけど、「わかった、協力するよ」と義理と人情で会員になってくれた友人も多い。そんな訳で大勢の人に支えられ、予想以上の活動が実現した。この冊子はそんな方々へのお礼の気持ちから企画したのであるが、以下は、組織立ち上げに共に取り組んでくれた友人たち、展覧会企画に参画してくれたコレクターたち、趣旨にご賛同とご支援をいただいた方々、そんな会員お一人お一人のひとこと紹介である。
                          

(アートNPO推進ネットワーク代表 山下透)

 

1、《アートNPOの中核としてご活躍いただいた方々》

2、《理事・相談役など役員としてご支援をいただいた方々》

3、《事務局ボランティアなどのご支援をいただいた方々》

4、《コレクターとして活動支援していただいた方々》

5、《ビジネスの世界から応援していただいた先輩・友人たち》

6、《画廊など美術専門家の立場から応援していただいた方々》

7、《アートNPOの趣旨にご賛同とご支援をいただいた方々》

『アートNPOの旗を降ろす時』

 私は、2002年4月、“アートNPO活動の提唱”を掲げて、『アートNPO推進ネットワーク』を立ち上げた。当時は仕事も多忙を極めていた上、妻が重い病に倒れるなどのアクシデントが重なったので組織設立の中止も考えたが、支持者も多く、是非やりましょうとの声に押され旗揚げすることとなった。

 この団体は元々NPO法人化を前提にスタートしたのであるが、組織作りよりまず活動することに意味ありと考え、法人化手続きは先送りして、コレクション展や若手作家紹介展などの企画を先行実行した。その結果、我々の活動はささやかではあるが一定の評価を頂戴し、日経新聞や美術年鑑、月刊ギャラリー、アートコレクター創刊号などの美術雑誌にも紹介され、順調に発展してきた。

 しかし、時間が経過するなかで幾つか問題も見えてきた。一つはNPO法人化についての、代表である私と他の役員との温度差。中核役員はそれぞれ仕事を持つ働き盛りで組織運営の余力はなく、私は対外的なことから会報作成・WEB情報発信・会員管理その他事務運営に翻弄されてしまった。任意団体の儘ならこれでもよいのであるが、NPOといえども法人であり、法人化すれば企業・団体と同様にマネジメント業務は役員の必須任務となる。アート企画も重要な仕事ではあるが、こういう苦労を共にする覚悟がなければNPO法人化は無理と考えるようになったのである。

 元々、私のアートNPO立ち上げの目的は美術の世界に“新しい風”を起こすことにあり、代表を長くやる気はなかったので、早い時期から後継者へのバトンタッチを考えていたが、そんなわけで後継者選びも諦めた。こういう経過を経て、私はNPO法人化計画を断念、かつ既に定着していた組織名の変更をも決断したのであった。

 しかも、偶々、人間ドッグで癌の診断を受け入院手術、順調に回復したのであるが、その後も再入院や検査が続き、再発・転移の可能性を抱えたままでの組織拡大は、いずれ会員に迷惑をかけかねないと考えるに至った。こうして熟慮を重ねた結果、組織は任意団体のままとし、場合によったら、これを機会に活動の段階的縮小せざるを得ないだろうと覚悟したのである。

結局のところ、NPO法人化という当初計画を断念することになったのは私の責任である。ならば、この何年かご支援いただいた会員の皆様に報いる意味を籠めて、とりあえず年会費を徴収しないかたちでの組織運営に移行しようと腹を固めたのである。そして昨年11月、活動の縮小と残った予算による小冊子作りを提案した次第である。

 

 私のNPO型アート市民運動の夢はいまだ道半ばであるが、美術の世界に“新しい風”を起こすことだけはできたのではなかろうか。この5年間一緒に活動していただいた役員や、趣旨にご賛同かつご支援いただいた方々に感謝しながら、ここに『アートNPO推進ネットワーク』の旗を降ろすこととしたい。
感謝!!

                     

(2006年12月 代表山下透)